本当の美とは何か。 美の本質を伝える人気連載コラム。
「愛」のあることろに「美」が存在する
人の心を満たすものは「感動」であり、感動を呼び起こすものは「美」。そんなお話をしてきましたが、この「美」の難しさというのは、それが非常に相対的であり、かつ主観的なものである、というところにあります。
たとえば、道端に花が咲いていたとします。ところがそれを、ただ通り過ぎた人。その人にとって、そこに花はあっても美はない。次の人が通りがかり、花には気づいた。あら、花が咲いているわ、と。けれどそこにも、まだ美は存在していない。その次の人は花を認め、かつ、こんなアスファルトの道になんで花が咲いているんだろうと、その生命力に感動した。自分もこの花みたいに頑張らなくちゃと、エネルギーがわいたという。つまり同じものに触れても、美しいと感じるかどうかは人それぞれ。いつも感動にあふれ、心満たされて生きるためには、美しいものを美しいと感じる心を持つことこそが重要であり、それがない人にとっては、「美」もまたないということになります。
では、両者の違いはいったいどこにあるのか。それを考えていくと、どうしても「愛」にいきつかざるを得ないんです。花を愛する人は、花を見ているだけで心豊かになる。音楽を愛する人は、音楽を聴いているだけで涙がこぼれてきたりする。子供を愛する人は、その寝顔を見ただけでエネルギーがわいてくるし、仕事を愛していて、仕事をしていると元気が出る、という人もいるでしょう。「愛の反対は無関心」といったりしますが、この愛するという気持ちが、たとえば年齢とともにだんだんなくなってきたりすると、人生は何の感動もない、乾いたものになってしまうのです。しかもここでいう「愛」とは、自分以外のものに向かう「他者愛」。自分のことしか考えられず、「愛されたい」というふうにしか意識が向かない人には、「愛」は存在しないのだと思います。