心も美しく

グローバル化の中における日本の美 その4

日本の美

No.9

2023.06.01 UPDATE

本当の美とは何か。 美の本質を伝える人気連載コラム。

さて前回までこのままいけばグローバル化の荒波の中で日本の文化はやがて融解し喪失せざるを得ず、それに対する処方箋を考えることは極めて困難であるということを申し述べて来ました。

それはたとえば日本の伝統文化を大切にすべきだと主張する、政治的に分類するならば、いわゆる保守派と称される人たちが「主張する保守」を標榜すること自体にその困難さが象徴されていると言っても良いのではないでしょうか。元来日本文化の最大の形態的特徴は主張しないことにあることに鑑みれば保守派が最も保守的でない方法でそれを遂行しようとする苦しさがそこに垣間見えるからです。いわば保守が保守的ではない方法を採ろうとし、そうではない人たちが逆に保守的な方法論を採ろうとするというような一種のねじれ現象のような状況がそこには存在しているといえるのではないかと思います。このねじれ現象は敗戦と7年間におよぶアメリカの占領統治による歴史の分断ということに起因すると分析できるのでしょうが、主張される内容そのものよりもむしろその方法そのものに日本的美意識の及ぼす影響が得てして大きいという特性からして そのねじれ現象が終息することはほとんど不可能であると推測され、その行きつく先を予想することは左程困難ではないといえるでしょう。いずれにせよ黒船の来航や敗戦といったような外的要因が無い限り、良くも悪くも内部からの変化はなかなか起きないであろうという意味において、極めて日本的であるということは確かなようです。

しかし幸いなことにこのまま日本の文化がグローバル化の中で溶解していくだけかといえば希望的観測を含めて必ずしもそうではないのではないかと思います。そこには環境問題という極めて大きな外的要因が存在するからです。それは今のままでは人類の存続が危ぶまれるほどの歴史上最大ともいえる危機を迎えていると考えるからです。

この環境問題に対する対策としては色々なことが論じられているわけですが、人類の長い歴史の中で考察するとそれはどうも小手先の技術論だけを論じているだけで終わるものではないように思います。歴史を振り返ればイスラム文明が栄えたこともあれば、インドあるいは中国の文明が栄えたこともあります。そしてそれぞれの文明は必ず衰退する時期を迎えるわけですが、この環境あるいは資源の問題こそが西洋文明の衰退の引き金となると捉えるべきではないかと思います。

近代は宗教と政治を区分することから始まり、それがデカルトのいうように「物は、科学で、心は宗教で」ということに繋がり、それが西洋合理主義と著しい科学の発展を生み出したということができるのではないかと思いますが、根本が物質的繁栄とそれを最も効率的に生み出すための拡大再生産を基礎におく資本主義というシステムにある以上、いずれにせよ限界が来て破綻をきたすであろうということは明確であると思うからです。

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