本当の美とは何か。 美の本質を伝える人気連載コラム。
グローバル化の中における日本の美 その2
この「つつましさ」ということは、相手を尊重し 時に自分以上に他者を思いやり 大切にするということを基調とした概念であり、謙虚かつ極めて豊かな心を背景として初めて成り立つものだといえるでしょう。それを美と捉えているところに極めて日本的なものを感じます。美を文字通り神に捧げられた犠牲の動物である「羊」が「大きい」、すなわちその本質を自己犠牲と明確に捉えているともいえるでしょう。そしてそれが戦国の時代に形成されたということは驚きではありますが、それはいにしへの時代からゆたかな心を育んできた歴史が茶道を通してひとつの形として完成されてきたと考えるのが適当だといえるでしょう。
それは世界の歴史上の権力者たちのいかにもその権勢を誇示するかのようなお城とたとえば天皇の住居であった桂離宮の質素さを比較してみても明らかだといえるでしょうし 和歌の歴史を鑑みてもそうだといえるでしょう。更には縄文の時代の遺跡からも概ね住居の大きさが均一でありその平等な暮らしぶりが窺い知れるのは実に興味深いことだと思います。
ところでこの平等といえば最近格差社会ということがずいぶんと論じられているようです。ただ世界と比較して日本は最も格差がない社会だという事実を客観的に知っておく必要があるでしょうし 日本における平等というのはこころの豊かさを背景にしたつつしみという美意識を元に形成されてきたという歴史を鑑みるときに そこに解決の知恵を見出すことが重要だとはいえるのではないでしょうか。
グローバル化の進展と共にボーダレスになればなるほど世界中が均質化し物価も賃金も同一化していかざるをえないというのはある意味当然のことであり同じ労働であれば賃金も均一化してくる。今まで近隣諸国に比較して相当賃金が高かった日本の賃金がそことの比較において修正を迫られるというのはある意味いたし方のないことだと言えるでしょう。格差社会の本質はこのボーダレス化にあると言って良いのではないかと思います。
一方、日本のように先進国で成熟した国の経済的な特徴はサービス化にあるといえますが、長い歴史の中で育まれた「おもてなし大国」である日本のサービスに関してはその評価が低すぎるように思います。今や世界中の人が認めるそのサービスに正当な評価が付与されれば実は日本の経済は大きく変わるでしょうし格差問題の大きな解決の糸口になるのではないかと思うのは私だけでしょうか。
戦国時代にたったひとつの壷とお城が交換されたこともあったようですが、客観的には数値化され得ない美というものに大金を投じる、そんな「粋さ」がなくなってしまったことも背景として考えなければならないとも言えるのではないでしょうか。権力者はこころ豊かであらねばならないという日本の伝統的価値観が崩壊しているとすればそれは日本の文化の崩壊に直結すると考えるのは私だけでしょうか。