内面から美しさが湧き出るような、そんな女性でありたい。
エルビューが考える美しさを体現し、
美しく年齢を重ねている方の生き方や考え方の中には、きっとその答えがあるはずです。
素敵なゲストをお招きし、あらゆる視点から“美”に繋がるヒントを探っていきます。
時を重ねても変わらない生き生きとした笑顔、
出会った人々を幸せな気持ちにさせるお人柄の持ち主、岩崎恭子さん。
14歳にして金メダルを獲得し、一躍時の人となった当時をはじめ、
これまでの転機を振り返りながら、お肌も心もキラキラと輝くための秘訣を伺いました。
Profile
岩崎恭子
Kyoko Iwasaki
978年生まれ。静岡県沼津市出身。1992年、バルセロナオリンピック競泳女子200m平泳ぎで、競泳としては史上最年少の14歳で金メダルを獲得。1996年のアトランタオリンピックにも出場。20歳となる1998年に現役を引退し、水泳指導者研究生としてアメリカに留学。帰国後はテレビなどで競泳の解説者として活動する傍ら、日本赤十字社の幼児安全法支援員、日本水泳連盟の基礎水泳指導員の資格を取得し、水泳の普及に努める。2009年に元ラグビー日本代表の斉藤祐也氏と結婚。2011年2月に長女を出産。オリンピック東京招致に向け意欲的に活動中。
岩崎恭子オフィシャルブログ「ことばのしずく」
http://ameblo.jp/kyoko-iwasaki/
金メダル獲得後のスランプと、
ひたむきさを取り戻した”気づき”
冨宅:ロンドンオリンピックでは解説者として現地へいらっしゃいました。競泳選手の皆さん、大活躍でしたね。
岩崎:ほぼ毎日、誰かがメダルを獲るという快挙でしたね。38個のメダルのうち11個が競泳ということで、私もすごく興奮しました。
冨宅:バルセロナオリンピックで岩崎さんが競泳200m平泳ぎで金メダルを獲得されたときのこと、今でも鮮明に覚えております。
岩崎:今ほどオリンピックの偉大さを感じてなかったので(笑)、振り返ってみるとずいぶん気楽に臨んでいましたね。あの年齢だったからこそ、力が発揮できたのかもしれません。
冨宅:当時、岩崎さんは14歳。金メダルを獲ろうという意識で挑まれたのでしょうか。
岩崎:競技である以上は勝ちたいとは思っていましたが、世界記録と6秒も差があったので、決勝に残るには自己記録を更新するしかないという気持ちだけでした。合宿では通常の倍以上の距離を泳いでいたので、毎日少しずつタイムを縮めた、その結果だと思います。
冨宅:岩崎さんが水泳を始められたきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
岩崎:私は三姉妹の次女なのですが、3人共通の習い事のひとつが水泳でした。とにかく姉と同じことがしたくて、始めたのは5歳からでした。姉はすごく速い選手だったので、よく全国大会まで応援に行っていましたね。そうした環境で育ったせいか、自分が出場することになっても緊張することはなかったです。姉が水泳を続けていなかったら、私も続けていなかったかも。いつも姉が道しるべになってくれていた気がします。
冨宅:辛い練習もあったと思いますが、途中で辞めたいと思ったことはなかったですか?
岩崎:辛かったのは、金メダルを獲った後ですね。一気に注目が集まってストレスを感じるにつれ、練習もやらされているような気持ちになってきて、結果も出せなくなりました。一体何のために水泳をやってるんだろうと悩んでいたとき、気づかされるタイミングが重なったんです。ひとつは、中学生の頃から知っている記者の方に『最近の恭子ちゃんにはオリンピックの時みたいな闘争心が見えないね』と言われたこと。もう一つは、高校1年で行った遠征場所が、中学1年のときと同じ場所で、当時の気持ちを思い出したこと。そこでバルセロナへ一緒に行った選手と再会して、懸命に努力している姿を目の当たりにしたこと——このままじゃいけない、もう一度頑張ってみようって思えたんです。
冨宅:上手くいかないときほど、色々なことに気づかされるものですね。仕事もスポーツも、長く続ける上では困難なこともありますが、乗り越える度にまたひとつ成長する、まさに継続は力なりですね。
迷うことなく自身が決めた、
現役引退と水泳指導者への転身
冨宅:岩崎さんはとても早くに引退されましたが、その後指導者となろうと決意されたきっかけはどのようなことだったのでしょう。
岩崎:なかなか結果を出せずにいた大学生のとき、国際大会の中継に解説者として出演依頼があったんです。でも、複雑な気持ちで臨んだはずが、気づいたら『がんばれ〜!』って応援していて。そのとき、自分はもう選手としては終わりなんだと気づきました。悔しいと思えなければ競技はできませんから。
冨宅:ご自身で思いを切り替えるというのはさぞ辛いことだったのではないでしょうか。
岩崎:同じ頃、またある出来事に気づかされたんです。子どもたちに水泳を教える機会があったのですが、自分が泳げることと、それを伝えるということは全然違うんですよね。それに、タイムを縮める水泳だけでなく、楽しむ水泳というのもあるんだと。子どもたちの“できた!”っていう笑顔を見て、私本当に嬉しかったんです。私だからできること、というのもあるのかなって。その瞬間から、引退してもこうして水泳に関わっていこうと思うようになっていました。
冨宅:しかるべきタイミングで、ご自身で気づいて、ご自身で決めた道を歩んで来られた——気づかないままの人も多いなかで、天の声のようなものをちゃんと受け取っていらっしゃる、それもお人柄ですね。
岩崎:アドバイスをもらうこともありますが、決めるのは自分。自分の責任なんですよね。いつもタイミングに恵まれてきたので、私はラッキーです(笑)。18歳で2度目のオリンピックに出場して20歳で引退を決めるまでの2年間はずっとモヤモヤしていましたが、必要な時間だったと今は思います。
日常生活も美容も、輝きの源は
”心のバランス”を保つこと
冨宅:プールでは塩素の影響が気になりますが、現役時代のお肌はいかがでしたか?
岩崎:トラブルはほとんどなかったですね。5歳から毎日プールに入っていたので、慣れてしまっていたのかも。現役時代より、引退してたまにプールに入るという生活になってからのほうが、肌トラブルを起こしているかもしれません。ほかの水泳選手たちを見ても、皆さん肌はきれいです。汗をかいてもプールの水で流れるからでしょうか(笑)。
冨宅:岩崎さんは本当にお肌がきれいでいらっしゃいますが、ご友人の大竹七未さんも含め最近はスポーツ界でもお肌のきれいな方が増えましたね。シンプルなお手入れでこそキープできると、改めて実感いたします。
岩崎:そうですね。冨宅さんは、白肌をキープされていらっしゃいますが、UVケアはなさいますか?
冨宅:いいえ、私は日傘も持っていませんし、本当にUVケアということをしたことがないんです。エレクトーレをご愛用いただいている女性アスリートの方々が同じことをおっしゃってくださいますが、エレクトーレがあるから安心というのもありますね。
岩崎:スポーツ界の女性たちは、面倒くさがりさんが多いので(笑)、手軽にお手入れできるというのも大きな魅力なんだと思います。
冨宅:エレクトーレをお使いいただいてからもう3年ほどになりますが、初めてお使いになったときの感想はいかがでしたか?
岩崎:七未ちゃんに教えてもらって初めて使ったんですが、お手入れがすごくシンプルで、すぐに気に入りました。特にトリートメントは、お風呂で使えるというのと、お手入れしたという満足感、さっぱりするのにしっとりするところが気持ちいいですね。新しくなったローションもさらにしっとりで、ますます好きになりました!
冨宅:お母様になられてもまったく体形が変わりませんが、日常生活の中では、どのようなことに気をつけていらっしゃいますか。
岩崎:食生活では、お料理にオメガ3系の油を使うなど、体に良いものをと心がけています。ポテトチップとかジャンクなものも食べてしまいますが、次の日には気をつけようって、心のバランスをとるようにしています。
冨宅:心のバランスは大切ですね。
岩崎:考えすぎても後悔しても、前には進まないので、楽しく過ごそうと心がけています。冨宅さんは社長さんとしてどのようにして心のバランスを保っていらっしゃるのですか?
冨宅:私は、両親のお位牌の前に毎朝お茶とお水をお供えして手を合わせるのが習慣なのですが、そうしていると自然と心がリセットされるんです。
岩崎:私も仏壇のある家で育ってきましたし、ご先祖様への感謝の気持ちを持っているので、そのお気持ちがわかります。
冨宅:お話しを伺っていて、岩崎さんもきっとそうだと思いました。常によい方向へ導かれるというのは、日々の心がけの賜物ですね。今は、心の持ち方が見直されている時代。最近では、目に見えないものの方が私たちに影響を与えているのではないかと感じます。
岩崎:娘は今1歳7カ月になるのですが、できることがどんどん増え、日々自然と感動したり笑わせてもらったりしてますが、常にいいことを感じられる自分でいたいですね。それがいずれ子供にも伝わればいいなって。
冨宅:いつも感動できる心でいることが大切ですね。エルビューでは今、心温まるお話しを皆さまから募集していて、その輪を広めていきたいと考えているんです。
岩崎:いいですね。いいなって思う気持ち、必ず周囲に広がるんですよね。楽しみです!
冨宅:今日は心温まるお話し、ありがとうございました。
エルビュー株式会社 代表取締役社長。
2004年エルビュー株式会社設立、ファッション、美容などの幅広い知識を生かし、美をトータルに追求している。日本の伝統文化にも造詣が深い。