年齢を重ねるほどに“自然界”が好きになった…そういう声を本当によく耳にする。若い頃は都会のイルミネーションにこそ心が踊ったのに、今は全く逆で、青い空や美味しい空気、木々のさざめき、川のせせらぎにこそ心が震えるというのである。
それは人として、ある意味で運命なのだと思う。なぜならば、自然界の素晴らしさに気づくためには、さまざまな経験を重ねたうえでの、精神的な成熟が不可欠だから。言い換えればそれは、すべての人に訪れる成長の結果であるからなのだ。
一方で、それは“物質欲がなくなったことの表れ”だともいわれる。私自身もそうだった。ブランド物を買うことにあまり興味がなくなったあたりから、自然への憧れが一層強くなった気がしている。単なる偶然かもしれないけれど、同じことを証言する人がじつは少なくないのだ。
奇しくも今は、“風の時代”に完全に入ったタイミング。西洋占星術では、木星と土星の大接近を時代の節目としていて、まさに今200年ぶりの大きな節目といわれているのだ。それも、この世を構成する元素に変化が起きるからという、意外にも科学的な現象。だから多くの人の心身に変化が表れるというわけ。単なる気分の変化では説明がつかないものがあるのだ。かくして、数年前まで続いていた“土の時代”が、この数年間のうちに“風の時代”へと移行。大きなパラダイムシフトが起きていると考えていい。
特に“土の時代”は、資産や権威など、形あるもの、目に見えるものを何よりも重んじた物質主義の時代。物質欲や名誉欲を誰もが強く感じていたといわれるが、“風の時代”に突入して、何かそういうものから解放された気がしているはず。いやまだそうした変化にピンと来ていないのかもしれないけれど、気がつけば、特に欲しいものがなくなっていたりして、代わりに自然への思いが強くなっていたという人も、きっと少なくないはずなのだ。
そしてまた、自然界のさざめきにとりわけ心が動くというのは、自分の感性が限りなく磨かれたことの証。例えば、音楽を聴いて涙が出るのと同じ、喜怒哀楽の多い人生を丁寧に送ってきた人だけが行きつける、1つの境地であると言ってもいい。もちろん中には、子供の頃からそうした領域に行き着いてしまっている人もいるけれど、やはり感性とは人生の中で磨いていくもの。そういう意味では年齢を重ねた結果として、自然界に本気で向き合い、その素晴らしさに心震わす時が熟したということなのだ。
ちなみに、自然界には“f分の1ゆらぎ”と呼ばれる癒しの効果が随所に息づいている。これは、小川のせせらぎや木漏れ日の動き、鳥のさえずり、そして潮の満ち引き、星の瞬きなど、自然界に見られる規則的でありながらも予測できない不規則性もある独特なリズムのこと。「f」はその周波数を指すが、誰もが心地よいと感じ、ストレスを和らげ、集中力を高める不思議な効果がそこにはあるのだ。
だからこそ、自分を時々自然の中に連れて行ってほしいのである。“f分の1ゆらぎ”のシャワーを意識して浴びることも大切。そうでもしないと、都会での忙しい日々が当たり前になっている現代社会では、知らず知らず溜まったストレスを解きほぐすタイミングが持てないまま、年齢を重ねてしまいがち。だから、なんだか今日は澄み切った空気に触れたいとか、青い空を見たいとか、無性に自然に触れたくなったら、その衝動にあくまで素直に従ってほしい。ほんの少しでもいい。郊外に出て遮るものがない青い空を見上げて深呼吸してほしい。そうすることが、溜まったストレスを和らげ、新しいエネルギーを取り込むための手続きとなるからだ。
人類はその歴史を考えれば、ほとんどの時間、圧倒的な自然の中で生きてきた。生活環境の中に、自然の営みがないことが当たり前になってから、まだそれほど時間が経っていないことに気づくべき。だから現代人はこれまでの人類にはないストレスを抱えがちなのだ。それは人類の歴史に戻って大きな視野で自分を見つめ直すことに他ならない。あえて人類の故郷である自然の中に自分を運んであげてほしいのだ。
夜明けとともに目覚め、夜更けとともに眠ることが、サーカディアンリズムを整えて、自分を最も良い状態に導くといわれるけれど、それと同じ、やはり自然に抱かれることが、何よりも重要な健康法だということ、そしてそれが1つのアンチエイジングだということに気づいてほしいのだ。少なくとも自然の中に身を置くと、もうそれだけで涼やかな幸福感に包まれることを自分自身で確かめたいのである。

齋藤薫
Kaoru Saito
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュースエキスパート』でコラムを執筆中。『大人の女よ!清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)他、『年齢革命閉経からが人生だ!』(文藝春秋刊)など著書多数。

(文藝春秋)

