美の本質は感動。この考えのもと、深い精神性と伝統美が継承されるさまざまな日本文化を応援しています。
能楽師 観世三郎太
冨宅:お能の歴史について教えていただけますか。
三郎太:今から1000年くらい前に猿楽から散楽となり700年くらい前に三代将軍足利義満に認められ、猿楽一座のトップだった観阿弥と世阿弥によって能楽が大成していきました。
冨宅:室町時代から継承されている観世流の27代目になられる三郎太さん。3歳からお稽古を始められ、5歳で初舞台を踏まれたのですね。
三郎太:実は幼少期のことはあまり記憶に残っていないのです。父親のことを先生と呼びますが、先生がシテ(主役)を演じる時に、子方(子役)を沢山させて頂きました。5歳頃のDVDを観返すと「自分もこういう時があったんだ」と思います。
冨宅:三郎太さんは「丹後物狂」がお好きだったと拝見したことがあります。
三郎太:あれは10歳の頃、子方時代に演じました。舞台が丹後の「天の橋立て」で、現地で上演させて頂いたことが記憶に残っています。夏の屋外で、上演中ずーっと膝の上に虫が乗っていて(笑)。子供ながらに、虫が顔にこようが膝にこようが、絶対に振り払ってはいけない、と分かっていたのでしょうね。
冨宅:一昨年は「翁」を演じられて。祈りのような要素も強く、神聖な演目ですね。
三郎太:「翁」は、本来は観世大夫(家元)のみ勤める事が出来る曲です。そして大夫と一緒に千歳という役が露払いの舞をします。千歳は若い人が勤めるので、今まで父が翁を演じる際に、もう何十回もやらせて頂いたのですが、一昨年ようやく翁を演じることになりました。
冨宅:努力を重ねられた賜物ですね。そして、去年は「道成寺」を演じられました。観世宗家に継承されている秘伝書の書き写しから始められたとのことですね。
三郎太:「道成寺」という曲は能楽師の卒業論文みたいなものです。とても基礎的なことが多く、1時間半の上演時間がほぼ決まりごとに則られている。まず先生から秘伝書の本物を渡され、書き写すところから入りました。いわゆる昔の字(古文書)で、読めないんですよ。それを一つ一つ先生に伺い、崩し字辞典を引いて書き写してゆきました。
舞台では真剣勝負。
誤れば切腹もあった
冨宅:ご先祖である世阿弥がまとめられた「風姿花伝」について、影響を受けたお考えはありますか。
三郎太:「離見の見」という言葉が好きです。舞台で舞っている時も、自分自身に夢中になるのではなく、少し離れたところから自分を見て舞いなさい、と。やはりそのほうが臨機応変に物事に対応できる。台本があり所作は決まっているのですが、人のすることなのでどうしても少し違うことが出てきます。そういう時に、自分に熱中しすぎていると対応ができないのです。あとは「初心忘るべからず」という有名な言葉。その二つがとても好きな教えです。
冨宅:はるか 昔の 室町時代に考案されたものなのに、今の時代にも通じる言葉ですね。人の根底みたいなものがわかっていた深いお考えだと思います。歴史的にみても、お能を通して考えや心構えが育まれたということはあったのでしょうか。
三郎太:昔は楽屋奉行のような役人がおり、楽屋でも粗相がないように、と厳しかった。また舞台でも、昔は将軍様の前で舞う際にミスしたら、そのまま切腹ということがあったようです。今でも舞台では真剣勝負の気持ちです。
冨宅:そうなのですね。また、当時は方言が強かったけれど、お能の謡いが共通語になって通じ合ったと伺いました。
三郎太:元々、猿楽以前の時代には謡いに囃子がなく、それを世阿弥が今のように拍子に合った謡いを決めました。その頃から謡は方言がなく、共通の言葉であったということです。
冨宅:お能は武家社会の中で発展していき、とても重要な位置づけにあったのですね。もう少しお能について伺いたいのですが、主役であるシテの方は、必ず面をつけるのですか?
三郎太:必ずというわけではありません。例えば夢幻能における神や亡霊など現実には表せないような時と、女性役の時に面をつけます。生きている人の時は面をつけないですね。
冨宅:あの世の者とこの世の者や神様が一緒に舞台上に在り、中には、植物の精が登場する演目も拝見しました。昔の人は生と死が表裏一体に感じていたり、今よりもっと目には見えない色々なものを感じ取ることができたのではないかと思います。
三郎太:そうですね。ほとんどの曲が何百年間も演じられてきているというのは、その時代から今に通じる面白さがあったということだと思います。相当深く考えて作られたものだからこそ、ここまで続いているということなのでしょうね。夢幻能のスタイルは世阿弥が作りました。例えば、冒頭は前シテがワキの僧と喋っていたのに、気づいたら前シテがいなくなっており、あとに後シテとして亡霊や神の化身となり出てくる。そういった夢幻能のスタイルは今でもとても人気です。
冨宅:お能は奥深いのと同時にとても温かさを感じます。お薦めの演目を教えていただけますか。
三郎太:初心者の方にお薦めするのは「土蜘蛛」という曲です。能には珍しく小道具を使う曲。他には「現在物」の直面(面をつけない)の演目を薦めることが多いです。夢幻能だと、謡いが多く動きが少なかったりするので。「現在物」とは、現在進行形で起きている物語で、比較的ストーリーが分かりやすく、最初に観る方には「安宅」などがお薦めです。
冨宅:初心者にはわかりやすい方が興味を持ちますね。
三郎太:あまり話の内容や言葉を理解しようとするのではなく、例えば昔から伝わるお装束や面、囃子方の音色、謡、そういう自分なりの鑑賞ポイントを見つけ出してくれればいいなと思います。お装束においては徳川家康公から拝領したものを着用することもあるのです。よく同世代の友達に言うのは、韓国のK-POPや洋楽などを聴いて、歌詞の内容は理解していなくても楽しめるのと同じだよ、と。能楽もそんな感じで観ていただければと思います。
冨宅:お囃子の音色も素晴らしいですし、お衣裳もそのような貴重なものを拝見できるのですね。三郎太さんにとってお能の魅力はどのようなところにありますか。
三郎太:観る側、演じる側と両方にとって言えるのは「一期一会」だということです。能楽にはそれぞれの流儀と家があり、それらの組み合わせですが、再び同じメンバーで上演することはほぼありません。一回公演であり、歌舞伎のように2週間以上公演するというのではないので、その時しか観て、体験できないことが魅力だと思います。
冨宅:その通りですね。日本文化の原点がお能の中にはあり、昔の日本人の精神性の深さを感じます。今は情報化社会でスピードも早く、物ごとの上辺だけを見て通り過ぎてしまいがちですが、本当の意味での感動や心の豊かさを、昔の日本人は持っていたのではと感じました。お能はもっと様々なことを感じ取ることができるきっかけになるような気がいたします。
三郎太:そうですね。たまには能楽堂というゆっくりとした時間が流れる空間にお越し頂くのも良いと思います。また能楽では、小道具をめったに使いません。ですから例えば、演者はお酒のつもりで演じていても、お客様はこれは水だろうと想像してくれても良いのです。自分なりの想像で、束の間の休息、ゆったりとした時間の中で過ごしていただけたらと思っています。
能は自分との闘い。
見せないことが美徳
冨宅:そのような時間は大切ですね。今の時代だからこそ、自分を深く掘り下げることが大切だと感じます。三郎太さんにとって「美」とはどういうものだと思われますか。
三郎太:世阿弥が遺した「秘すれば花」という言葉があります。私たちは、稽古している様子を人には見せない。自分との闘いなので。見せないことが美徳だと思っている文化がありまして、能にとっての美だと思います。
冨宅:今後の抱負をお聞かせいただけますか。
三郎太:これから長い能楽人生が待っていますが、毎日の積み重ねが大変大事だと思い、一歩一歩稽古をしていけたらと思います。父親が背中で見せてくれるというありがたい環境を活かし、感じながら長く続けていけるように頑張っていきたいと思っています。
冨宅:素晴らしいですね。今日はお話をお伺いいたしまして、三郎太さんの高い志、熱い想いに感銘を受けました。今後のご活躍を期待しております。