日本文化を普及するために、様々な伝統芸能や伝統品、
また日本文化を継承する方々を紹介してきました。
人間国宝 桂盛仁様
伝統彫金と技術の継承
人間国宝 桂盛仁
冨宅:彫金とはどういうものか教えていただけますか。
桂:彫金は、形も色もすべて金属で表現する伝統工芸です。金や銀、銅などの地金を打ち出したり彫ったりしながら、形作ります。色味は、黄色がほしければ金、白なら銀、赤には銅を使うというように別の地金をはめ込みます。特に鼠色は四分一(銀を4分の1加えた合金)、黒色は赤銅(しゃくどう)(銅に金を5%加えた合金)、この二種の金属は、日本独自の合金で、現在世界語になっています。
冨宅:起源はいつ頃なのですか。
桂:日本の工芸の中では陶器に次いで古く、弥生時代には鉄器が中国から入って来ています。奈良時代以降は、武具や仏具、寺院の飾り金具として発展。室町時代になると、精巧で豪奢な刀や鎧など彫金(金工)が頂点を極めました。
江戸時代末期には刀剣のほか、簪(かんざし)や帯留といった装飾品がもてはやされました。特に煙草入れ、煙管に名のある彫金家の彫金を施し、家柄や財力を表すのがステイタスだったのです。
冨宅:彫金には江戸の粋の美学が託されていたのですね。
桂:戦いがなくなると、文化が発達し、彫金の技術が磨かれて、素晴らしい作品が生まれました。今日では、帯留、香爐、花瓶、お茶道具などの作品が作られています。
冨宅:彫金を始められた経緯はどのようなことですか?
桂:室町幕府お抱え彫金家であった後藤家を祖とし、私は江戸初期 横谷宗珉の弟子柳川派の伝統を引いており、父盛行はその弟子筋12代目です。帯留中心の彫金家でしたが暮らしは苦しく、私は枕元で父がコンコンと打つ金鎚の音を聞いて育ちました。体が弱かった父の目となり耳となって手伝うなかで、自然と技術を身に着けていきました。
人間国宝としての役割は
後世への伝承とわが身の研鑽
冨宅:高い伝統技術をお持ちの桂先生は、平成20年に重要無形文化財保持者に認定されていらっしゃいます。
桂:正直申しまして私は、できることを続けてきただけですので実感がございません。ただ、頂戴したお役目は技術の伝承ですので、大学や彫金教室で生徒さんにできる限りのことをお伝えしております。
冨宅:制作で大切にされていることやこだわられていることはありますか?
桂:おごらず、常に上を目指すことでしょうか。たとえば1枚の金属を、表裏から、鏨(たがね)という工具で打ち出して、立体にしていく香爐などは、どれだけ美しい形を出せるかが勝負です。また、人があまり好まない昆虫を題材にするのもある種の挑戦です。丸い殻を背負うカタツムリや、よく見ると体に綺麗な色をまとうトカゲなど、自然界の美しさが見る方の心にすっと届く作品となるよう心を砕いています。
冨宅:実際に拝見させていただき、造形の美しさ、繊細さに感動致しました。先生にとって「美」とはどういうものでしょうか。
桂:一人でも多くの人から、「これいいね」と評価してもらえるものが美だと思っています。そのために、どうしたらそういう造形になるか、常に考えながら作っています。
冨宅:わぁ素晴らしい!と感動したときに美は存在するのですね。制作にはどのくらいのお時間がかかるのでしょうか。
桂:1つの作品に約3か月。構想から数えると1年以上かかるものもあります。生みの苦しみはありますが、鑑賞者の皆さんに評価していただけたときは、お金には代えられない大きな喜びとなります。
冨宅:代々受け継がれている技術と、長時間思いをこめて、創られた作品はまさに芸術です。 今後の抱負をお聞かせいただけますか。
桂:間もなく帯留を作る人が途絶えてしまうかもしれません。そうならないように何十人に一人でもいいので、技術を継承していきたいです。日本人が愛した彫金を、また身近な工芸品として親しんでもらえるよう、これからも丁寧に作品に向き合ってまいります。
冨宅:大変貴重なお話をお伺いさせていただきまして光栄です。本日は、本当にありがとうございました。
人間国宝 桂盛仁
東京生まれ
1992年・2008年
伊勢神宮遷宮御神宝制作
1998年
東京都知事賞、受賞多数
2008年
重要無形文化財保持者「彫金」認定
2014年
東京国立博物館「人間国宝の現在」出展
2015年
旭日小緩章
2016年
奈良薬師寺「桂 盛行・盛仁父子展」開催
現在
東北芸術工科大学 客員教授 金沢美術工芸大学 非常勤講師