日本文化を普及するために、様々な伝統芸能や伝統品、
また日本文化を継承する方々を紹介してきました。
漆芸家 村瀬治兵衛様
木地と塗りの手仕事風格のある
造形美・漆芸 漆芸家 村瀬治兵衛
冨宅: 漆芸の歴史を教えていただけますか。
村瀬: 漆芸は、漆の液体を器の表面に塗って仕上げる工芸です。漆に関しては縄文時代から使われていて、いろんな遺跡から漆を塗った副装品や装飾品が発掘されています。木を削って作る木地は、良質な金属の刃物ができた奈良時代から本格的に作られるようになりました。
冨宅:村瀬先生は木材の選定から木地、漆で仕上げるまで手掛けていらして、そういう方は大変稀だとうかがいました。
村瀬:輪島や会津など漆工芸の産地では各工程を分業で行うのが一般的です。私の祖父である初代治兵衛も、江戸から続く木地師でした。しかし素地だけでは満足せず、漆器としての完成品を目指しました。その過程で北大路魯山人に見出され、ご指導いただいたそうです。
冨宅:高度な技をお持ちのお祖父様やお父様を間近に見ていらっしゃって、どのような思いでしたか。
村瀬:常にプレッシャーを感じていました。仕事を継ぐには、技術的にもセンスにも自信がなく、大学では彫刻を学びました。しかし卒業後、結局、家の仕事を手伝うことになりました。
冨宅:この道で進むと決意をされたのはいつごろですか。
村瀬:20代半ばの頃でしょうか。父から店と借金を引き継ぎ、暗中摸索のうちに舵取りが始まりました。好運なことにバブル期でしたので仕事は多く、必死に回しておりました。今振り返ると、そのときに技術が身についたように思います。
冨宅:それがご活躍の礎となっているのですね。現在は伝統の根来塗のほか、木肌の質感を生かした風格のある作品を作られていますが、制作のアイデアはどのようなものから得られるのですか。
村瀬:以前は、お茶の取り合わせにあうものを作るのには古いものに倣い、料亭さんからのご依頼では、お店のテーブルの大きさや盛るお料理、ご主人のご意向からイメージを膨らませました。
2001年の襲名後は、時代にあう今までにない形を探る方向にシフトし、世界の美術館を回り、多くの作品から制作意欲をかきたてられました。特に彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとイギリスで活躍した陶芸家ハンス・コパーには刺激をうけ、彼らの作品は制作の指針となっています。
一つひとつの判断を油断せず
最大の魅力を引き出す
冨宅:日々の制作でこだわられていることはありますか。
村瀬:形を作るとき、漆を塗るとき、さらに展示するときも、0.0何mmの違いにこだわります。何億という選択肢の中から最大の魅力を引き出していくわけですから、一つひとつの判断を油断せず、追求することを心がけています。
冨宅:実際の制作工程はどのような流れなのでしょうか。
村瀬:新しいものを作ろうとするときは頭の中に浮かんでくる雲のようなイメージの塊を、作業場のコンクリートにチョークで描いて徐々に形にしていきます。
次は木材、できれば丸太を探し、製材屋さんで製材してもらって荒挽をします。お椀なら3cmほどの厚みにざっくり削る作業です。それを3年程寝かせ、乾いたら成形し直し、木地を仕上げます。
塗りは、木地を丈夫にするために、漆に土を混ぜたものを複数回塗り、よく乾いたら漆を塗り重ね、最後に磨いたり、加飾したりして完成です。構想から完成までだいたい5年かかります。
冨宅:長い時間とたくさんの手仕事を経て作られているのですね。先生にとって漆芸の魅力はどういうところでしょう。
村瀬:一番は信頼性です。ほかの素材で、200~300年先に残せるものはありません。丈夫ですから、お客様の中には家は3回建て直し、車は15台乗り換えているのに、栗の茶托だけは3世代受け継がれているという方もいます。
冨宅:祖父母、そして両親が愛用していたかと思うと温かい気持ちになりますね。
心置きなく語り合える
もてなしのお茶が制作の原点
冨宅:日常使いの器のほか、茶道のお道具も多く作られていらっしゃいますね。
村瀬:はい。祖父が生まれた名古屋では、挽き立ての抹茶が手軽に買えたので、縁側などで近所の人と楽しむ習慣がありました。後に祖父もお茶のお稽古を始め、月に一回、お茶会を催しておりました。ですからお茶は子どものころから私の生活の一部であり、制作の原点と言えるかもしれません。
冨宅:素晴らしいですね。お茶会は今も続いていらっしゃるのですか。
村瀬:毎月ではありませんが、私のライフワークでもありますので、年に5、6回行っています。外で釜をかけたり、海外からのお客様に点てさせていただいたり、楽しみながら続けており、作品作りにも大きな影響を与えられています。
冨宅:テーブルの上に水指を置くなど、和室ではなくてもお茶が点てられる工夫がされた展示も拝見いたしました。
村瀬:それが祖父のお茶会の基本で、形式にとらわれないおもてなしの姿です。今は新型コロナウイルスの問題があるので難しいですが、どのような場所でも親しい人と語らう密室感を作れることをイメージして道具を作ることもあります。
冨宅:そうした先生の作品はモダンアートとして評価され、海外の展示会でご盛況とうかがっております。何か思い出深い出来事はございますか。
村瀬:米国のフィラデルフィア美術館でのことです。出展した自分の作品を探して、ようやく見つけた作品の前で、若い青年がデッサンしていたんです。何十万点という作品の中から私の作品を選んでくれたのが嬉しくて、間違えてなかったという自信にもつながりました。
冨宅:先生の作品の魅力ですね。特に欧米では美意識が高く、熱意のある方が多いように感じます。先生ご自身は「美」はどのようなものだとお感じですか。
村瀬:はっきりはわかりませんが、美は健康や幸せ、優しさ、あるときは厳しさなど、人間の生きる目的につながる形に宿るのではないでしょうか。私は、真絹に包まれた赤ん坊のような柔らかさを表現したり、岩壁の厳しさを割った木の肌でたとえたりしながら、美しさというものを追求しているのが正直なところです。
冨宅:作品に込められた先生の真摯な想いが伝わってきます。最後に、これからの抱負をお聞かせいただけますか。
村瀬:材料がある限り、一点でも多く、人の心につながるものを作っていきたいです。究極を言えば、人類が滅亡したあとに宇宙人が来て「これ、いいね」と持ち帰って使ってもらえれば嬉しいです。また作品だけでなく、お茶の場においても表現を広げていければと思います。
冨宅:大変楽しみにしております。本日はありがとうございました。
漆芸家 村瀬治兵衛
二代目治兵衛の長男として東京に生まれる
1980年
東京造形大学美術学科彫刻専攻卒 同年より代々にわたる家業である 木地師・塗師に従事。茶道歴35年
1991年
京都嵯峨吉兆にて父子展開催この年より 2、3年に1回父子展を各地で開催
2001年
三代目治兵衛を襲名、木地師として7代目を継ぐ
2009年
妙喜庵・待庵の炉縁製作。東京国立近代美術館工芸館「現代工芸への視点 茶事をめぐって」展出品。日本橋三越本店、福岡三越、伊勢丹本店、松屋銀座、ギャラリー堂島など各地にて個展開催