日本文化を普及するために、様々な伝統芸能や伝統品、
また日本文化を継承する方々を紹介してきました。
漆芸家 小森邦衞様
品格のある漆器の妙
髹漆、是國技也
冨宅:漆や輪島塗の起源や歴史を教えていただけますか。
小森:漆は古くから天然の塗料や接着材として使われてきました。各地の遺跡からも発見されていて、現在世界最古の漆器は北海道函館市南茅部地区で見つかった副葬品で約9000年前のものだと測定されています。
冨宅:思っていたよりも古くから漆が使われていたのですね。
小森:漆は平安時代に中国から入ってきたと伝わっていますが、日本各地に産地があって、地域で発達していたのでしょう。輪島塗では、市内にある重蔵神社本殿の朱塗りの扉(1397年)が最古のものです。
輪島の地場産業に開眼
縁に導かれ人間国宝に
冨宅:先生が漆器を始められたきっかけはどのようなことからですか。
小森:私は中学を出たら刃物を使った仕事をしたいと思っていたので、最初は和家具の仕事に就きました。ところが大きなテーブルを1人で削ったり担いだりするため、小柄な私は体力的についていけませんでした。その後何をしようかと考えていた時に、友達の家に行けば、そのお宅が塗師さんや職人さんであることが多く、漆に気持ちが向きました。輪島塗には漆の塗面に文様を彫る「沈金刀」というノミもあり、「刃物が使える!」と沈金の師匠に弟子入りさせてもらいました。そして4年間の年季が明けた後、師匠の勧めで「輪島漆芸技術研修所」に入所。ここで沈金や蒔絵の人間国宝の先生方に指導を受け輪島塗以外の漆の魅力も知ったことが、漆芸家を目指すきっかけになったのかと思います。
冨宅:良いご縁に導かれてその後、先生は「髹漆」の人間国宝に認定されます。髹漆というのはどういうものでしょうか。
小森:漆器の素地に漆を塗るすべての工程のことです。輪島塗の資料館「輪島漆器会館」には、東京美術学校(現東京藝術大学)の学長を長く務めた正木直彦氏の額がかかっています。「髹漆、これ国技なり」と書かれてあり、髹漆が漆器の根幹であると認識されていたことがわかります。
冨宅:具体的な工程を教えていただけますか。
小森:木のお碗の例でご説明しましょう。まず、素地(木地)に薄い漆を塗って「木地固め」を行います。木地に節があれば、整え、ヒビや割れ目はおがくずなどを混ぜた刻苧漆で充填。その後、椀の縁や底、高台に麻布を着せて素地を補強し、輪島地の粉(輪島だけで採れる珪藻土を粉にしたもの)を混ぜた下地漆などを重ね、乾燥・研ぎという工程を繰り返して堅牢な器にしていきます。その後、中塗り漆の塗布と乾燥・研磨があり、仕上げが上塗りという流れになります。段階を数えますと、全部で60前後の工程になります。
冨宅:1つ1つ丹念に作られるのですね。なかでも難しいのはどの工程ですか。
小森:最後の上塗りです。上塗りは刷毛目を残さないよう一気呵成に行うので、気力と体力が必要です。塗りムラや、ホコリやチリがつくのもいけません。その日の精神状態でも左右されます。
冨宅:神経の細やかさを求められるお仕事だということがわかります。
緻密な網目が紋様となる
世界に例を見ない籃胎
冨宅:多数の受賞をされている「籃胎」の作品は、繊細な網目模様が特徴的ですが、素材は竹ですか。
小森:そうです。秋の土用(10月末〜11月上旬)に山から竹を切ってきて、一年寝かせて使います。籃胎は網代の技術で竹を編んだ素地に漆を塗り重ねた作品です。
冨宅:素材の用意から完成に至るまで、どのくらいのお時間がかかるのですか。
小森:竹を編むのは朝から晩までできますが、塗りは1つの工程に1時間ほどかけた後、乾燥のため24時間は触れません。ですから、手を動かす時間を1日8時間に凝縮して考えると大体100日。実質1年ほどでしょうか。
冨宅:長い時間がかかるのですね。素地には、竹や木以外にもあるのですか。
小森:金属の上に漆を塗る金胎や、原形にわらびのりで和紙を貼って形作る紙胎、石膏の上に麻布を張って形作る乾漆などがあります。乾漆は自由な造形ができるので、弟子の多くが手がけています。現在1年間に制作される漆器の素は、60〜65%が合成樹脂で、ヒノキや欅などの木胎が35〜40%、籃胎や乾漆などは0.01%程度しかありません。
冨宅:価値の重みが違いますね。作品の構想はどのようにされているのでしょうか。
小森:私は2つの考え方で作っており、1つは、湧いてくるイメージを自分の技術でどう表現しようか考えて作るもの。もう1つは自分の技術と材料を生かし「こんな形を作ろう」と考えた作品です。網代の重箱は後者の例で、竹という素材と指物(角のある木地)の技術を融合させたものです。
冨宅:世界でも稀有な構造だと聞きました。素晴らしい発想ですね。また先生は持った時の優しさや、口に当てた時の柔らかさを大切にしているとうかがいました。
小森:はい。使う人の感触を想像しながら木地の厚みや工程を決めていきます。そういう思いを、使う方に受け取っていただければ作家冥利に尽きます。
冨宅:思いは作品にも表れますし、伝わると思います。先生の作品は、品のある柔らかなつやや、深い色合いもとても素敵です。
小森:ありがとうございます。漆器の仕上げ方には2つあり、表面を磨き上げて、優美な輝きを与える「呂色仕上」と、漆本来のつやや肌の美しさを生かす「花塗」「塗立」があります。私の作品は後者で、ほんわりした肌で、底のほうからにぶい光を放つようなのが特徴です。使うほどに使い勝手が良くなり、つやが出てきます。大事にかわいがりながら、使う人が仕上げていける器だと思います。
冨宅:ですから代々受け継がれて、大切にしている方が多くいらっしゃるのですね。先生の長いご経験の中で、特にうれしかったことなどはございますか。
小森:作家として作品を作り始めた頃、伝統工芸展に出品し、6回連続で選外になりました。「7回目で選外になったらもう出品しない」と家内に言って出した作品が初入選しました。その時は本当にうれしかったのを覚えています。
冨宅:諦めてはいけないのですね。
小森:そうですね。初入選してからは選外にはなっていません。弟子たちはまだ連続して入選する者はおりませんので、荒波にもまれながら育っていくのでしょう。
冨宅:今回は先生とお弟子さんが共同で出品される、初の作品展だそうですね。
小森:はい。現在11人の弟子がおり、全員県外から来ています。皆、漆が好きで輪島で私と出会い、私の仕事場に入ってきたということは、運命的なものだと思っています。今年も弟子の1人が伝統工芸展で賞をいただきました。皆しっかり育ってきていると思います。
冨宅:お弟子さんの作品も素晴らしいです。先生にとっての「美」とはどのようなものとお考えでしょうか。
小森:自分の中のある感性に応えられるものが美しいものなのだろうと思います。「美」という字は「美味」とも書きますから、おいしいものを食べることも「美」、いろんな方たちに出会って言葉を聞いて「美しいなぁ」と感じることも「美」。言葉で表すにはなかなか難しい言葉ですね。
冨宅:ありがとうございます。先生の今後の抱負はございますか。
小森:はい。今年の春まで弟子を育ててきましたが、まだ自分でも作りたいものがありますので、これからは自分の作品作りに精進していきたいと思います。
冨宅:新たな作品を楽しみに、ますますのご活躍をお祈りいたします。
漆芸家 小森邦衞
石川県生まれ
1968年
輪島漆芸技術研修所沈金科入所、71年同所卒業、75年同所髹漆科聴講生人所、78年同所修了
1977年
第24回日本伝統工芸展初入選 以後連続入選
1986年
第33回日本伝統工芸展出品作「曲輪造籃胎喰籠」 NHK 会長賞受賞
1989年
第36回日本伝統工芸展出品作「網代縞文重箱」NHK 会長賞受賞、受賞作文化庁買上
1999年
北国文化賞受賞
2002年
第49回日本伝統工芸展出品作「曲輪造籃胎盤、黎明」日本工芸会保持者賞受賞、受賞作文化庁買上
2006年
紫綬褒章受章、重要無形文化財「髹漆」保持者認定
2014年
重要無形文化財「輪島塗」技術保存会会長
2015年
旭日小綬章受章
2020年
石川県立輪島漆芸技術研修所所長、石川県輪島漆芸美術館館長