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京菓子司 季節の移ろいを写す京の雅

Artist interview

掲載号 夏 2022

2023.06.01 UPDATE

日本文化を普及するために、様々な伝統芸能や伝統品、
また日本文化を継承する方々を紹介してきました。

京菓子司末富主人 山口やまぐち祥二しょうじ

水牡丹

季節の移ろいを写す京の雅
京菓子司末富主人 山口祥二

冨宅:いつも大変お世話になっております。末富さんとは、18年ほど前にお父様の富藏様とご縁をいただきまして、それから2年間、エルビューのお客様に差し上げる御菓子を毎月作っていただき、大変喜ばれていました。その節もお世話になりました。
山口:こちらこそ、ありがとうございます。
冨宅:それではまず、和菓子の歴史から教えていただけますか。
山口:古くは木の実や果物が御菓子の始まりで、その後、遣唐使により中国からまんじゅうやようかんなどがもたらされました。当時は砂糖がなかったので、今でいう中華まんのようなものでした。 『源氏物語』には桜餅の葉が椿の葉で作られた「椿餅」や、「亥の子餅」が出てくる場面もあります。南蛮貿易で砂糖がもたらされるようになると、甘い御菓子が作られるようになり、将軍や大名、公家の方々がもてなしに用いるようになりました。そしてお茶や琳派の流行を受けながら、今のような意匠が広まったのは江戸時代の元禄あたりです。
冨宅:和菓子の中でも「京菓子」と呼ばれるものは、どういうものなのでしょうか。
山口:都があった京都と、他の地域の御菓子を差別化した呼び名です。地元京都では、御菓子の店は大きく3つのすみ分けがあり、3時のおやつなどにいただくのは「おまんやさん(おまんじゅう屋) 」、お祝いには赤飯や餅を扱う「おもちやさん(餅屋)」で、お客様のおもてなしには「おかしやさん(菓子屋)」を使います。これは公家文化の名残でしょう。昔、菓子屋は、店頭に商品を並べず、お客様が来られたら、お茶席の趣向や使用する器について話し合い、オーダーメイドで御菓子を作りました。今もお茶席で使われる御菓子は同様です。

止めの美学から生まれた
「末富ブルー」

冨宅:「京菓子司末富」というお名前にある、「司」とはどういう意味ですか。
山口:江戸時代の元禄年間に、上菓子屋の株仲間が作られ、冥加金を払うことで貴重な輸入品の白砂糖を使う許可をもらいました。「司」は、その時に朝廷から認められた位で、御所や各御本山の御用をしていたことを示しています。御菓子も上の方に納めるものですから「上菓子」と呼ばれました。
冨宅:祥二様は、そのような由緒あるお店を継ぐ四代目ご店主であられますが、先代様から、どのようなお仕事を引き継いでいらっしゃったのでしょうか。
山口:大祖父は1804年から続く亀末廣で修業し、1893年に独立しました。すっきりした味わいでご定評をいただく末富の味は、当初から砂糖の量を変えず一定に守っているためです。末富の意匠の多くを考案したのは祖父・二代目竹次郎です。シンプルできれいに見せる「寸止めの美学」を大切にしていたと聞いています。「末富ブルー」と呼ばれる包装紙を作ったのも祖父でした。
冨宅:見るとすぐ末富さんとわかる包装紙は私も大好きです。他にない世界観が表れていて、京都らしさも感じます。
山口:洋風な部分もありますが、絵は左近の桜・右近の橘など京の風物と商標の檜扇です。戦後間もなく、祖父が親しくしていた日本画家の池田遙邨さんと意見を重ね描いていただきました。白を敷いて青を載せた独特な水色は、当時、大きな反響を呼んだそうです。三代目の父・富藏は、徹底して色目にこだわり、「通勤する時も、周りの状況に目を配りなさい」と常々言っていました。例えば3月に咲く桜も、日々その色を変えていきます。その移ろいを表現するよう教えられました。京菓子は形や色で雅であることが命です。ことに京都らし い柔らかな「はんなり」とした色目は、作っている場所だけで見ていると、濃くなったり薄くなったりしてしまうので、外で見て、中で見て、と何度も確認して仕上げます。
冨宅:磨かれた審美眼によって、感動を与える御菓子が作られているのですね。

かささぎの橋

冨宅:本日ご用意いただいた御菓子も涼やかできれいですね。
山口:桃色の菓子は紅色のあんを葛で包んだ「水牡丹」 。水色の葛を細い帯に切った団子の生地で巻き、細かい金、銀の箔を左右にふって天の川の星を表している「かささぎの橋」。十五夜にちなんだ「風流団喜」です。
冨宅:一つ一つに季節感や風物詩が込められていて、心が豊かになります。京菓子の楽しみ方を教えていただけますか。
山口:京菓子はそれぞれ銘がついているのが特徴です。耳で銘を聞き、目で色や形を見、さらに黒文字で切った時の触感も楽しんでいただけます。そして食べて味わう。お茶席でしたらご亭主のもてなしの心に思いを馳せることもできます。
冨宅:教養があればあるほど、深く楽しめるものなのですね。またすべての御菓子が手作りなのも大きな魅力です。それぞれ表情が異なり、温かさや気持ちが伝わってきます。大切な方へ の贈答に末富さんの御菓子を差し上げています。長く愛されている御菓子の他、新しいお品を発表したり、海外での活動もされていらっしゃるとうかがいました。
山口:2009年にモナコの名門ホテル「ル・ルイ・キャーンズアラン・デュカス」の晩餐会のデザートを担当させていただきました。同年パリのお茶会で御菓子を教えたのがきっ かけで、毎年ワークショップも行っています。またジャン=ポール・エヴァンさんやマリベルさんなど海外のお店とのコラボレーションも増えています。
冨宅:モナコでの晩餐会には私も出席させていただきまして、末富さんのデザートをいただき素晴らしかったのを覚えています。海外の方の反響はいかがですか。
山口:料理の素材として豆を使う欧米では、初めは甘い豆=あんこを食べない方も多く、「琥珀」など寒天や葛を使った御菓子を作っていました。しかしこの10年で海外でもティーセレモニーが頻繁に行われるようになり、あんこも注目されるようになりました。

大らかな琳派の意匠で
夢と楽しさの世界

風流団喜

冨宅:月に一度届くコーヒーと和菓子のセットもご好評とうかがいました。
山口:はい。 大学での講師を務めていますが、大学生に尋ねると、日本茶はペットボトルで飲むのに、コーヒーは自分でいれるという人が多いんですね。これはおもしろい、と思いました。実は、和菓子はコーヒーと非常に合いますので、相性のよい品を選んで、オリジナルコーヒーとして提供させていただいています。
冨宅:ぜひ私もセットで味わわせていただきたいと思います。弊社は化粧品を通じ、総合美について考えています。社長様にとって美とはどういうものでしょうか。
山口:私はやはり俵屋宗達や尾形光琳、乾山など琳派に惹かれます。琳派は大和絵を基盤にして装飾性もありながら、削ぎ落として最終的にまとまった美しさを完成させました。御菓子も、ぱっと見てわかりやすく、華美ではありませんが美しく遊び心のあるものを作りたいと思っています。
冨宅:今後の抱負をお聞かせください。
山口:末富は初代から「夢と楽しさの世界」をご提供することを第一にしてまいりました。これからもその伝統を受け継ぎながら、時流を汲み取って、皆さまが見て楽しくなる御菓子を作っていきたいです。
冨宅:御菓子の箱を開いた時の美しさは、まさに夢の世界です。いただくたびに幸せになります。これからも末富さまのご活躍をお祈りしております。

 <small>京菓子司末富主人</small> <ruby>山口<rt>やまぐち</rt>祥二<rt>しょうじ</rt></ruby>

京菓子司末富主人 山口やまぐち祥二しょうじ

1960年
京都市生まれ
1983年
同志社大学文学部卒業
1991年~
末富に入り父・富藏に師事
2009年
モナコ「ル・ルイ・キャーンズアラン・デュカス」にて晩餐会のデザートを担当。
2009年~
「パリ日本文化会館」にて京菓子の講義とワークショップを毎年行うなど、国内外で京菓子の伝統を広めることに努めている。
現在
同志社女子大学・大谷大学非常勤講師。
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