Beauty Talk Vol.29 原千晶

心も美しく

病から気づかされた美しい心の秘訣 女優・タレント 原千晶さん

Beauty Talk

Vol.29

2023.06.01 UPDATE

内面から美しさが湧き出るような、そんな女性でありたい。
エルビューが考える美しさを体現し、
美しく年齢を重ねている方の生き方や考え方の中には、きっとその答えがあるはずです。
素敵なゲストをお招きし、あらゆる視点から“美”に繋がるヒントを探っていきます。

太陽のように温かく、エネルギー溢れる健康美をお持ちの女性、原千晶さんが今回のゲスト。
タレント、女優、そしてコメンテーターなど、多岐に渡りご活躍。
多忙な毎日を送られるなか、美のモチベーションを支えているものとは?
絶え間ない笑顔の源とは? その秘密を紐解きます。

Profile

女優・タレント
原千晶
Chiaki Hara

1974年4月27日生まれ、北海道帯広市出身。1994年第21代「クラリオンガール」として芸能界デビュー。映画、ドラマ、バラエティー、ワイドショー等で活躍。2004年アロマインストラクター資格を取得。2度の闘病経験から2011年「よつばの会」を発足。

シンデレラストーリーの序章は
紆余曲折の連続

冨宅:芸能界デビューのきっかけはどのようなことだったのでしょうか?

原:高校を卒業後「モデルをやってみませんか?」と声をかけられました。今でいう読者モデルを何回か経験するうちに、写真を撮られる、雑誌に載るという楽しさを知り、自らエージェントの門を叩きました。オーディションをかけまわる日々がすぐにスタートし、幸運なことにクラリオンガールに選んでいただき、芸能界デビューしました。本当にたった3ヵ月の間に、人生が劇的に変わった…そんな感じでしたね。

冨宅:まさにシンデレラガールですね。実際に芸能界でお仕事を始められていかがでしたか。

原:見るものすべてが新しくて楽しかったですね。芸能界のお仕事は見た目以上に大変でした。クラリオンガールは、商品の販売促進への貢献が役目ですので、365日中200日くらい、文字通りキャンペーンガールとして地方をまわる日々でした。任期である1年間は、本当にがむしゃらに駆け抜けた感じです。でも、雑誌やテレビなどに露出して初めて全国の皆さまに顔と名前を知ってもらえる世界ですので、いつまでもクラリオンガールという肩書きに浸っている場合ではない!と自分を叱咤激励してタレント活動にシフトしていきました。

冨宅:途中、辛いことなどはありませんでしたか?

原:デビューから10年くらい経ち、このまま続けていけるのだろうか? 私、大丈夫なのかな? と芸能界は生存競争が激しいという潜在意識の中で、すごく悩んだ日々がありました。下を見れば若くてきれいなタレントさんがたくさんデビューしてくるし、上を見れば大先輩方には到底かなわない。そんな中途半端な自分の立ち位置が否めませんでした。それでも、お仕事の現場では元気に笑顔でいなければならない…自分の表と裏のギャップが埋められず、思い切ってお休みをとらせていただきました。それが29歳の頃のことです。

冨宅:その頃に出会ったのが、アロマセラピーだったのですね。

原:そうです。幼い頃から香りが好きだったということと、かねてからアロマセラピーに興味があったので、スクールに通い、アロマインストラクターの資格を取得しました。アロマに触れれば触れるほど、自分のハートがささくれてボロボロだったことに気づかされました。20歳でデビューして走り続けてきましたからね。本来、私は競争心がないほうなので…。アロマに出会い、すごく癒され、素晴らしいものであることを実感しました。

冨宅:香りで不快になったり、リラックスができたり、香りがもたらす精神への影響は大きいですよね。

原:香りは心と体にダイレクトに作用するものだと感じます。目には見えなくても本当に大きな力があるなって。今は、自分の経験から、アロマと出会い、どう向き合ってきたかということなど、セミナーを通してお話しさせていただいています。

病から気づかされた
美しい心の秘訣

冨宅:以前、大病をされたと伺い大変驚きました。でも、現在のお姿を拝見する限り、そんな経験をされたとは全くお見受けできないほど、とても健康美でいらっしゃいますよね。

原:ありがとうございます。その当時はとてもショックでした。これまで二度のがんを経験。まず、30歳で子宮頸がんに。それまで病気のことに全く無知で、子宮はひとつの臓器でしょ? というくらいにしか捉えておらず、子宮がんには子宮頸がんと子宮体がんがあることさえも知りませんでした。もちろん、原因も由来も違うなんてことを知る由もなく。ドクターの勧めがあってもなかなか手術に踏み切れず、腹部を切らずに膣からメスを入れて一部分を切るという、子宮を残す処置を選択しました。しかし、その5年後、35歳のときに二度目のがん、子宮体がんに。しかもそのときは命に関わる状態でした。ただただ後悔しかなく、自分の意識の低さを悔やみました。きちんと受けるように言われていた定期検診も3年目からは勝手に病院から遠ざかっていました。これが最たる過ちだったと思います。

冨宅:そういう状況下にありながらも、克服されてお元気になられ、本当によかったです。

原:二度目のときの手術では、もちろんお腹も20cm程切開し、リンパ節もとりました。その後、体が回復するまでには、実感として1年くらいかかったように思います。さらに、抗がん剤治療も行わなくてはならなかったのでとてもきつい思いをしました。

冨宅:そんな過酷な闘病の支えとなったことはありますか?

原:私にとっては、母親、そして彼ですね。このふたりがずっと側にいて支えてくれました。本当にその存在が大きかった。病気を乗り越える上でも、なくてはならないものでした。

冨宅:ご病気後、何かご心境の変化などありましたか?

原:30代は苦難の連続だったように思います。でも、二度目のがんになって、本当に治さなきゃ! 元気にならなきゃ! 生きなきゃ! って。振り返ると過去は責任転嫁ばかりしている自分がいました。仕事や恋愛がうまくいかないと全部人のせいにして逃げてばかり。いよいよ逃げ切れなくなってしまったのが、がんという病気だったのです。これは自分の人生の責任としてきちんと向かい合い、何ひとつこぼしてはいけない…そんな気持ちが目覚めました。この経験を通して、随分大人になったというか、変わったように思います。

冨宅:周りはなかなか変わらないけれど、自分が変わると周りも変わってくるものですね。私もいつからか、全ての源は自分と思うようになりました。

原:本当にその通りです。この気持ちを忘れない意味でも、一年に一度、年末には伊勢神宮に参拝し、感謝とともに自分の気持ちを清めるようにしています。

冨宅:毎朝お位牌に手を合わせて感謝の気持ちを唱えています。昨年は伊勢神宮への参拝もかないました。心を研ぎ澄ますといろんなことを感じられる場所、神様が宿っていると感じました。

原:各地に神社仏閣がある日本。この地に生まれた意味を探る意味でも、神社へ赴くことを大事にしたいと思えるようになりましたね。

冨宅:私も時間に余裕ができましたら、多くの神社を訪れてみたいと思っています。

同じ経験をした女性を支えたい
「よつばの会」をスタート

冨宅:原さんが発足された「よつばの会」では、どのようなことをされていらっしゃいますか?

原:実際に女性特有の病気、例えば、乳がんで乳房を切除された方は「私、片方おっぱいがないんだ…」とは、なかなか大声で言えることではありませんよね。私も闘病中、なかなか病気のことが言えずとても孤独でした。でも、同じ経験をしたからこそ分かる話ができるのではないか? と思い、そこからスタートした会が「よつばの会」です。

冨宅:素晴らしいですね。同じ境遇の方に自信と勇気を与えていらっしゃると思います。そして、テレビで拝見するお元気でおきれいな姿とご活躍は何よりの励みになると思います。

原:女子会ではないのですが、女性はワイワイと会話するのが一番の息抜きなのかな? と思います。泣く人、笑う人と様々ですが、この会がいろんな意味で、思いや感情を吐き出す場所、解放できる場所になってくれることを祈っています。

冨宅:こうやってお話ししていても、ご病気をされたとは感じさせないほどお美しい原さんですが、何か美容についてこだわりなどはおありですか?

原:美と健康のためにと続けているのが、人参ジュース。朝は低速ジューサーで人参3〜4本を搾り、そこにリンゴやレモンを入れたものをコップ2杯飲みます。これが朝の日課です。お腹も満たされますし、とても調子がいいです。そのままお昼は食べずに夜は好きなものをいただきます。もちろん、食べ過ぎには注意しながらですが。そんな食生活が自分に合っているように思います。

冨宅:私は玄米にはまっていまして、毎朝玄米の粉を牛乳にといて飲んだり、お昼も玄米ごはんをいただいています。

原:食と並行して運動も大事だと思います。「やっぱり柔軟性が大切。それは体に限らず心も同じ」という、ある方の言葉にハッとさせられ、人は歳をとるごとに頑固になったり関節が硬くなったりしがちですが、その逆を行く! という目標を見つけました。決して激しい運動ではなく、筋肉をほぐし柔軟性を持たせるストレッチなどが理想的ですね。

冨宅:私も同感です。以前から寝る前にストレッチを継続していて、最近はラジオ体操もはじめました。

原:ラジオ体操! 全身のいい運動になるのでとても良いと思います。私もやってみます。

お気に入りのアロマコレクション
地方での講演会にて検診の大切さを皆さんに語りかける

自己責任で生きる
ぶれない、迷わない心を育てたい

冨宅:以前、テレビ番組でエレクトーレをご紹介いただいたことをきっかけにお使いいただいていますが、ご感想をお聞かせいただけますか。

原:はじめてフェイストリートメントモイストを使わせていただいたときの、あの使用後の感触は本当に衝撃的でした。たった10秒でゆで卵のようにプルプルとした肌感に。まさに、ワンランク上の肌になったよう…。その後に化粧水やクリームをつけるのを思わず忘れてしまうほど、しっとりと肌が潤っている感じですよね。

冨宅:気に入っていただけて、よかったです。

原:冨宅さんご自身、本当に透き通るようにきれいなお肌ですものね。それが何より品質を物語っています。

冨宅:長年に渡って研究をしてきまして、その中で電位に着目し、物理的なエネルギーで肌に働きかけるという、ユニークな商品を開発してきました。短い時間で効果が得られますので、きっと皆様に喜んでいただけると思っておりました。

原:あの仕上がりには感動しました。肌本来の潜在力を引き出してくれるアイテムだと感じました。そういう意味では、私のこれまでのスキンケアの概念を大きく変えるものだと思います。無理やり何かを肌にのせるのではなく、肌の力を生かすアイテムといっていいのかもしれませんね。

冨宅:そう言っていただけて大変嬉しく思います。この3月にミネラルオーレ入りのファンデーションを発売します。スキンケアしながらメイクアップできて、ピュアなツヤ肌を目指した自信作です。ぜひ、お試しください。

原:楽しみにしています。

冨宅:最後に、原さんの目指す女性像をお聞かせ下さい。

原:自己責任で生きること。そしていい意味で、ぶれない、迷わない心を育てたいと思っています。女性は少なからずそんな力を持っているように思います。例えこの先、何かトラブルがあったとしても一歩一歩、着実にたくましく生きていけたらと思います。

冨宅:そんな前向きな気持ちが、原さんを美しく輝かせているのですね。本日は、貴重なお話をありがとうございました。


エルビュー株式会社 代表取締役社長。
2004年エルビュー株式会社設立、ファッション、美容などの幅広い知識を生かし、美をトータルに追求している。日本の伝統文化にも造詣が深い。
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