美の本質は感動。この考えのもと、深い精神性と伝統美が継承されるさまざまな日本文化を応援しています。
株式会社 宮脇賣扇庵 代表取締役社長 南 忠政
冨宅:扇子の歴史についてお教えいただけますか。
南:木簡という宮中で使われていた文字を書くための木の板があり、それを何枚か綴じ合わせていました。それが片側だけ綴じることで、今の扇の原型になったと言われています。扇の中で一番古いのが檜扇といって、ヒノキの板を合わせたものです。
冨宅:今では、あおぐということがメインに使われていますが、扇子が使われはじめた当初の平安時代はどうだったのでしょうか。
南:儀式の順序などを書いておくメモ書きとして使っていたようです。そこからだんだん装飾が雅やかになってきて、女性が装飾品として持ち、顔を隠すためのアイテム、あおぐのではなくて“携えておく”ためのものでした。
冨宅:今とは全く違う使われ方をしていたのですね。鎌倉・室町時代になるとどうでしょうか。
南:茶道や神事といったシーンで、儀式の中で持つもの、礼節の中で使われる存在だったようです。
冨宅:お能や歌舞伎、舞踊の中でも扇子が使われていますね。私は、日本舞踊や茶道を習っていた際、先生に挨拶をする時に必ず膝の前に扇子を置いてお辞儀をする、お月謝を渡す時に扇子の上に乗せるなど、扇子をいろんなシーンで使いました。敬意を払う意味合いがあるのでしょうか。
南:そうですね。ちょっと一歩下がる、というような意味だと思います。
冨宅:現在では、贈答品にもよく使われますね。今回エルビューも20周年の記念品として作っていただきまして、やはり末広という意味で縁起が良い、おめでたいという意味合いもありますね。
南:そうですね。扇子と呼ばずに末広と呼ばれていたものなので。縁起の良いアイテムとして、昔からお祝いごとがあると配っていただく習慣が日本にはありますので、それはずっと続いていってほしいですね。
冨宅:宮脇賣扇庵さんの歴史についてお聞かせいただけますか。
南:江戸時代に近江から初代の宮脇新兵衞が京都へ来て、もともとあった扇屋に入らせてもらい、そこを引き継いだのが201年前です。
冨宅:南社長は8代目でいらっしゃいますね。京都のお店の天井には、48人の画伯の絵があしらわれていてとても素敵です。昔から日本画家の方々と親交があられて、その先生方の絵を扇子の図柄にされていたのですか。
南:そうです。当時うちの店の近くに、京都の有名な画家達が集う画材屋がありまして、3代目がその画家の方々と交流がありました。今でこそ有名になられた方がたくさんいらっしゃいますけども、当時は駆け出しで、扇子の絵を描くのは本業の絵の仕事のかたわらアルバイト的にという形で、関わっていただいていたようです。そういう方の図案がたくさん残っています。そんなご縁から明治35年に、天井に48人の画家に一枚ずつ扇面の絵を描いてもらって、当時の貴賓室の天井に作ったのです。
冨宅:代々受け継がれてこられて、その中で家訓のようなことはありますか。
南:言葉では特に残っていないのですが、私の祖父にあたる5代目の宮脇新兵衞は、わりと新しいことが好きな人でした。業界の中でもいち早くスーツを着て仕事するなど、モダンなことを取り入れるのが早い人だったと聞いています。今、自分が社長になって、もちろん古いものも大切に続けていきたいと思いますが、それを消費するだけでは、やがて擦り減ってしまう。昔からのことを大切にしつつ、新しいことも生み出せるように努力したいと考えています。
全てが手作業の繊細な職人ワザ
冨宅:扇子が出来上がるまでの工程を教えていただけますか。
南:まず、竹の加工と紙の加工に大きく分かれます。竹は、材料を削るところから、干したり、染めたり、部分的に丸味を付けたり、角度を削るだけなど一つ一つ工程が違い、各工程ごとの分業制です。そうして骨組みが完成します。
紙は、扇子専用の和紙を使います。三枚の紙を合わせた構造になっているのですが、表側の一枚と裏側の一枚、そして、真ん中の一枚は非常に繊維質の高いものを間に挟んでいます。その紙を貼り合わせて一枚の紙になり、裂いた時に1.5と1.5に裂けるような構造。その1.5の間に竹を差し込んでいきます。
冨宅:繊細な作業ですね。
南:その紙に、表面の図案を絵師に描いてもらいます。次の加工で折る作業をするため、絵を描いた後に紙を湿らせるんです。絵具に膠を混ぜ、色が落ちないように調合します。その加減は経験で、まさに職人ワザです。そして次の折る職人さんが湿らせて折っていき、一回一回乾かし、乾かした後に竹が通る穴に一本ずつ刺していきます。その後、最後につけ職人(紙と竹をつける職人)さんが一本ずつ骨を入れて、完成させます。
冨宅:扇子をあおぐと、とても良い香りがしますね。
南:竹と和紙を組み合わせる前に、竹の先端にうちのブレンドした香料を沁み込ませ、乾かしてから組み立てているんです。
冨宅:そういう素敵な工夫もされているのですね。
扇子の伝統と美を
もっと身近なアイテムにしたい
冨宅:今、様々な伝統的なモノ作りの場で職人さんが減ってきているという話をよく聞きますが、扇子の世界ではいかがですか。
南:やはり減ってきていますし、高齢化もあります。なかなか若い人が続かなくて辞めてしまったり。これからの一番の課題はそこだと思います。良いものが出来上がるところをたくさんの人に知ってもらい、そういう仕事に憧れを持ってもらえるような活動も大事だなと思います。
冨宅:若い方々職人を目指したいと思うように、「職人さんはかっこいい」という風潮になると良いですね。ブランド「バナナとイエロう」は、新しいことへのチャレンジですね。
南:宮脇賣扇庵の昔からのお客様の期待されることや、好んでくださってきた雰囲気はそのまま持ち続けたいと思いつつ、違うことをしてみたいという気持ちがあります。若いデザイナーさんとの出会いもあり、和の感性と違う人たちと話をしたら、扇子というアイテムをすごくカッコいいと思ってくださっていて。従来とは違う切り口で扇子をデザインするきっかけになれば、と思っています。
冨宅:着物を着ていた時代から、洋服になった今、私は昔の図柄も粋で素敵だなと思いますが、もしかしたら若い人たちはもう少しモダンな方が持ちやすいのかもしれませんね。
南:例えば、今は携帯で時間を見られますが、オシャレという意味で腕時計をしますよね。そういう意味で扇子も、持っていることでオシャレなもの、それこそ平安時代の檜扇の使われ方にもともとあった要素だと思うので、それを現在の中によみがえらせたいという思いがあります。数珠のブレスレットをしている人を見かけますが、もともとは仏事で使うものでした。それを、おまじないやお守り的な気持ちで、持たれてるのだなと思います。一方、扇子は神事で使われることが多いんです。神様と繋がる時、あいだに扇がある。そういう力のあるものとして、例えば、自分がずっと使っていたものを大切な人に渡したりするし、気持ちが入るアイテムだと思います。ファッション的な意味と、扇の神秘的な部分、そのあたりを大切にしたいなあと。
冨宅:ぜひそのような認識が広まると良いですね。南社長にとって、美とはどのようなものですか。
南:自分が憧れを感じることが、美なのかなと思いますね。
冨宅:感性で感じることは大切ですよね。今後の抱負をお聞かせいただけますか。
南:職人さんの後継者問題の解決に力を入れていきたいですし、同時に扇子の良さをもっと世の中に伝えていけるようにと思っています。また、自分で買うことももちろんあると思いますが、人に贈ることも多いのが扇子。相手のことを思って選んでもらうような発想で、あの方はこの花が好きだからこの絵柄にしようというふうに、人にあげる時に選びたくなるような視点が商品開発において大事だと思います。
冨宅:本日は大変貴重なお話をお伺いさせていただきましてありがとうございました。