エルビュー株式会社は、日本文化支援の一環と致しまして2024年5月15日から19日の5日間、熊本県山鹿市にある八千代座で行われた「坂東玉三郎八千代座特別公演」に特別協賛させていただきました。
坂東玉三郎八千代座特別公演
熊本県山鹿市にある八千代座は明治43年に建設された芝居小屋で、国指定重要文化財に認定されています。
坂東玉三郎様は、八千代座を振興するため、平成2年から30年間、八千代座で毎年公演を行っておりました。
2022年に一度終了した玉三郎様による八千代座公演がこのたび復活いたしました。
この「坂東玉三郎八千代座特別公演」に特別協賛させていただくことになったエルビュー株式会社は、公演期間中に八千代座でエレクトーレ商品の販売をさせていただく運びとなりました。
公演当日の様子
八千代座へ向かう道中や、八千代座の入り口前には「エルビュー株式会社」の協賛のぼりを飾っていただきました。
こちらは八千代座前に設置されたエレクトーレ販売ブースの様子です。
5日間、多くのお客様にエレクトーレをお手に取っていただくことができました。
エレクトーレは、これからも心を大切にする日本文化の支援を行ってまいります。
2024.03.08に「日本文化支援」にもご出演いただきました。記事も、ぜひお楽しみください。
魂で魅せる江戸の華
五代目 坂東玉三郎丈 × 冨宅高華子
掲載号 春 2024
大和屋 五代目 歌舞伎役者 坂東玉三郎
美の本質は感動。この考えのもと、深い精神性と伝統美が継承されるさまざまな日本文化を応援しています。
冨宅:本日はお時間をいただきましてありがとうございます。まずは歌舞伎とはどういうものか教えていただけますか。
玉三郎:歌舞伎は江戸の庶民の楽しみとして生まれた舞台芸術です。文字通り音楽あり、踊りあり、お芝居もありで気楽で楽しい演目も多く、400年以上皆様に親しまれています。
冨宅:舞台も独特な日本の色目で彩られ、時代時代の雰囲気がありますし、踊りも生のお三味線やお唄、お囃子さんと一緒に楽しめるので迫力が違います。
玉三郎:生で見ることが大切ですね。劇場に入って扉が閉まり、幕が開くと現実を忘れられる時間になります。異空間にいられることが劇場の醍醐味です。
冨宅:ただ敷居が高いとおっしゃって、歌舞伎を見たことがない方も多くいらっしゃいます。
玉三郎:私は子供の頃から歌舞伎役者でしたが、学術的な勉強を始めたのは30歳くらいからなんです。それまではとにかく洗練された音楽ときれいな衣裳、楽しい物語が好きでウキウキやっておりました。先日は中村獅童さんの3歳、6歳のお子さんがいらして2時間じっと見ていたと聞きました。まずは難しく考えず、劇場に親しんでいただければ良いのではないでしょうか。
冨宅:私は歌舞伎から多くの感動をいただいています。人生を豊かにしてくれる楽しみの一つです。当日券もありますので是非ご覧になっていただきたいと思います。
琳派の美人画に学び
先人が求めた美を体現
冨宅:玉三郎さんが歌舞伎の世界に入られたきっかけを教えていただけますか。
玉三郎:私はもともと花柳界育ちなので、4、5歳から踊りを習い、6歳ぐらいの時に「藤娘」や「三つ面子守 」などを踊っていましたら、歌舞伎の世界に入らないかと誘われ、自然と入りました。
冨宅:そして7歳で初舞台を踏まれ、14歳で五代目坂東玉三郎さんをご襲名。そこから女形として目覚ましいご活躍をされました。女形を演じられるにあたり、作品として創り上げると拝見したことがありますが、こだわり等はありますか。
玉三郎:私の場合は女性の魂や姿を持っていませんから、綿密な取材や勉強を重ね、戯曲に描かれている女性像を組み立て、肉体を使って演じる必要がありました。でも当時の杉村春子さんや水谷八重子さんといった大女優さんも、女性でありながらご自身のことを客観的に見ていらっしゃいましたね。恋愛や失恋、戦争をも越えてきた人生を噛み砕いて役を構築することで、魂が浮かび上がるような役を演じていらっしゃいました。そういう意味では女優さんも女形も、究極的には変わらないのかもしれません。
冨宅:私は美容に関する仕事に35年以上携わり、総合美の追求をしてまいりましたが、やはりこの世の中で一番に美しい女性は舞台にいらっしゃる玉三郎さんだと思っております。そうした美しさを表現するために、どのようなことを大切にされていらっしゃいますか。
玉三郎:絵をたくさん見ることです。鳥居清長や鈴木春信など江戸の浮世絵師の美人画や、本阿弥光悦と俵屋宗達が起こした琳派の絵。そうした絵画の線をよく見て、踊りで自分の線をどうやって出していくかを突き詰めています。とはいえ「この線を出そう」とか、「この絵のこの部分を取り入れてみよう」とすると故意的なものになってしまうので、見て練習して、見て練習しての繰り返しです。そしてその美しさが自然に役の中に流れてくるというのが理想です。
冨宅:優美なお衣裳なども、やはり絵画から着想を得られるのですか。
玉三郎:はい。基本は〝 取り合わせ〟です。着物のみならず、日本、そして世界の芸術は古代、中世、近代といった過去の美しいものを再構築して生まれると思っています。どの着付けにどの打ち掛けが合うか、この打ち掛けならどの髪型が合うかなど、合わせの審美眼は、上村松園さんや鏑木清方さんなど日本画を見て勉強しています。
観る人の心を浄化し
活力となる芸能
冨宅:ここからは玉三郎さんが演じられた演目を中心にお話を伺いたいと思います。多くの演目のなかでも私が一番好きなのは「京鹿子娘道成寺」です。玉三郎さん演じる十代の娘、清姫が安珍に恋し、恋心を踊る美しさは格別ですが、安珍に裏切られ、いつの間にか恨みに変わり蛇に化けて、鐘に逃げた安珍を鐘ごと燃やしてしまいます。そのような強い情念がこちらにも乗り移るような迫力を感じます。
玉三郎:こうした物語をよくひもとくと、仏教の説法であることがよくあります。「道成寺」も、逃げる安珍を執拗に追いかける娘の憤怒を演じることで、観る人の苦しみや遺恨を解いていく。そういう話が日本にはたくさんあります。清姫の恨みほど大げさではなくても誰しも心に闇を抱えているものです。それが舞台を観ることで浄化され、明日を迎える力になる。それが芝居の本質なのではないでしょうか。
冨宅:だからなのですね。玉三郎さんの舞台を見終わるといつもすっきりとした清々しい気分になります。それから優麗な舞が印象的な「鷺娘」も好きな演目です。鷺の精が娘の姿となって、切ない恋心を舞う悲哀の物語ですね。
玉三郎:実は「鷺娘」には物語はないのです。あれは雪の中を歩く白無垢の女性を描いた鈴木春信の絵から着想を得たもので、長唄さんが和歌を「妄執の雲 晴れやらぬ朧夜 の恋に迷いし我が心~」と唄い、叶わぬ恋に苦しむ女性像を作り上げたのです。
冨宅:そうだったのですね。深々と降り積もる雪の中で息絶える姿は美しく感動的です。
玉三郎:それがやはり解説にはならないところですね。言葉にしてしまうと理屈になってしまう。白無垢で出てきた娘さんがどうなるのかしらと思ったら雪に埋もれていくという、この寂しさを受け止めるのが良いと思うのです。
冨宅:ほかにも、仁左衛門さんとの「二人椀久」は幻のように美しく今でも鮮明に心に残っています。
玉三郎:あの山場は能の「井筒」からもらっています。恋人の形をして井戸をのぞき、水面に映る自分を見て恋人のことを思うという、世阿弥が夢幻能を創っていったものです。そこを椀久と幻の松山が井戸をのぞいてお互いを認め合うという、そういう着想からできています。素晴らしいですね。それで、華やかに廓の手踊りをしているうちに、あっという間に消えてゆくという。
冨宅:また衝撃を受けた演目は気高い遊女が恋人に思いを馳せながら三曲(琴、三味線、胡弓)を奏でる「阿古屋」で、優雅で気品に満ちていてとても素晴らしかったです。私も三味線を20年以上前から習っておりましてその難しさがわかりますので、豪華な衣裳をまとったお姿で繊細な三曲を弾かれる玉三郎さんの技術力、表現力の高さにも圧倒されました。お稽古はいつ頃から始められたのですか。
玉三郎:琴は10歳にならないうちから、三味線も玉三郎になってすぐやりました。胡弓は18歳から、もう亡くなられた筝曲、胡弓の名手川瀬白秋先生にお稽古をしていただきました。
冨宅:本番前にもお稽古をされていらっしゃいますか。
玉三郎:昔はしていましたが、今はもうそのまま出てしまいます。あまり稽古しますと逆に緊張してしまったり、本気で練習しすぎて本番で力尽きてしまったりしますので(笑)。
感受性を豊かにし、
常に新鮮な舞台を
冨宅:玉三郎さんは長期にわたり、歌舞伎の舞台では約1か月、昼の部と夜の部に立たれていらっしゃいます。体力的にも精神的にも大変だったのではないでしょうか。
玉三郎:大変でしたね。毎日歌舞伎座と家との往復で、夜はマッサージを受けて、よく眠り、疲れを翌日に持ち越さないように努めていました。
冨宅:大役を演じることにストレスなどはございませんか。
玉三郎:ストレスはあまり感じたことはありません。でも血液検査をしましたら先生が「ボクサーほどのストレスがかかっていますよ」とおっしゃられて。私はそう感じていなかったので意外でした。ただストレスではありませんが、同じ演目を2週間ほど演じていますと、ルーティーンワークに陥りやすくなるということがあります。そこは気をつけ、常に新鮮に役を務められるよう、日々、起爆剤を見つけることを心掛けました。というのもお客様は、役者が「この程度で良いだろう」となおざりにしたことはよくわかっていらっしゃるんです。ですから隅々まで気が通っていないといけません。お客様は、失敗は許してくださいますが、怠慢は許してくれません。
冨宅:起爆剤とはどのようなものですか。
玉三郎:例えば天気が悪い日に、お足下の悪いところ歩いてきたお客様とどうやって対面するかを考えることも“起爆剤”ですし、逆に良いお天気で気分良く入ってきたお客様と、どう“気”を合わせるか、ということもそうです。あるいはおいしいものをいただいた喜びや感動したこと、悲しみでもいいのです。自分の深層心理に生まれた感情を役に乗せていく。すると同じ役でも新たな魂が宿るのです。昔、六代目中村歌右衛門先輩の舞台をよく見ていましたが、「道成寺」で花道から出てくる時、パッと封を切って出てくる感じがしていました。常に新鮮。それがお客様に対する真摯な姿勢だと思います。
冨宅:ですから玉三郎さんの舞台は感動が違うのですね。ところで最近は、「お話と素踊り」の会やコンサートなど多彩な企画をされていらっしゃいますね。
玉三郎:歌舞伎座など大きな舞台からは徐々に身を引いて、小さめの舞台で芸術を届ける形にシフトチェンジしています。「お話と素踊り」はその一つで、「踊るなら扮装しないといけないんじゃないかな」と思いながらもやってみましたら、お客様が割と気に入ってくださって。2021年のコロナ渦で始まって4年になりますが、楽しく続けています。
冨宅:玉三郎さんを身近に感じられて、お客様は大変喜ばれると思います。
花鳥風月を愛で
自然美を舞台に生かす
冨宅:常に美しさを追求されていらっしゃる玉三郎さんですが、「美」とはどのようなものでしょうか。
玉三郎:やはり究極、自然に近いものが一番美しいと思います。夕日や花もそうですね。例えばですが、音楽家はどのように美しい音楽を作るかと考えると、それは天からもらった波、いわゆるひらめきです。それを譜面にし、オーケストレーションすることで春を感じさせたり、喜び悲しみを感じさせます。それと同じで、私たちも花鳥風月を美しいと思える感受性を磨き、舞台の絵として表現できたら美しいだろうと思っています。
冨宅:素晴らしいです。ますます玉三郎さんの舞台が楽しみになります。最後に抱負をお伺いできますか。
玉三郎:先ほども触れましたが、これからは制作側として自分が良いと思える舞台を作っていく、それが私の夢です。これまで勉強させていただいてきた体験をもの作りに注いでいって、良い作品がたくさん生まれた1970年代80年代の頃のように、劇場に座って「ああ、いい時間だったなぁ」と過ごしていただけるものをお届けしていきたいです。
冨宅:ぜひお願いいたします。今後のご公演や舞台制作を心待ちにしております。貴重なお話をありがとうございました。