美の本質は感動。この考えのもと、深い精神性と伝統美が継承されるさまざまな日本文化を応援しています。
江戸切子作家 小川郁子様
冨宅:まず切子の歴史をお教えいただけますか。
小川:切子は、ガラスの表面に切り込みを入れ、紋様を施す加工技術です。1571年の長崎の開港以来、ポルトガルなどからガラスが伝えられ、そこから260年余り遅れること1834年。江戸のガラス問屋の加賀屋久兵衛さんが金剛砂を使ってガラスに格子模様をつけて売り出したのが始まりです。明治時代には英国人技師エマニエル・ホープトマン氏が、近代的な西洋式のカット技術を伝え、現在の切子の基礎となりました。
冨宅:切子には薩摩切子と江戸切子が有名ですが、どのような違いがあるのですか。
小川:大きな違いは、ガラスにかぶせた色の層の見せ方とカットの方法です。薩摩切子は色の層が厚く、百何十度という鈍角に刃を当てて削ることで、美しいグラデーションが生まれます。カットの彫りが浅く、触るとなめらかな感じがします。一方、江戸切子の色の層は1㎜以下程度と薄く、カットするとすぐにクリアな部分が出てきます。私が学んだ技法は、刃を鋭角に当て、深く切り込むので、色とクリアなガラスのコントラストがパキっとしています。切り口も鋭く、触ると痛いくらいです。
冨宅:手触りも異なるのですね。
小川:はい。歴史的な違いもあります。薩摩切子は、薩摩藩が江戸から腕利きの職人を呼び寄せ、殖産として推奨。格式高い美術品として献上品などに用いられましたが、薩英戦争や西南戦争などで技術が途絶え、現在の薩摩切子は復刻で制作されています。対する江戸切子は高級品のようなものは少なく、日用品として、庶民の間で、途切れることなく愛用されてきました。
運命に導かれた師匠との出会い
冨宅:先生が江戸切子にかかわるきっかけはどのようなことだったのですか。
小川:大学に入学する年に、地元・江東区の区報に江戸切子教室開設の記事が載り、母親が勧めてきたんです。もともと絵を描いたり、物を作ったりするのが好きで、美大への進学を思い描いたことも。でも高校の美術の先生に「大変だからやめたほうがいい」と言われ、普通の大学へ。そんなこともあり、何かやりたいと思っていてなんとなく始めました。
冨宅:そして、そのお教室の先生が江戸切子の第一人者の小林英夫さん。赤い糸に導かれたような出会いですね。
小川:はい、今思えば奇跡のようだと思います。当時学生の私はそんなことも知らず、「おじいちゃん先生だなあ」なんて思ったりして(笑)。でもとにかくおもしろい先生で、楽しくてすっかりハマってしまいました。教室に4年間通っているうちに本格的に勉強したくなり、かなり無理を言って、弟子にしていただきました。
冨宅:熱意もさることながら、なるべくして江戸切子の作家さんになられた小川先生の運命の力に驚きます。お師匠様の元では何年ほど学ばれたのですか。
小川:9年です。ちょうど9年経った時、手書きの卒業証書をくださいました。「修行は続くが、もう毎日来なくていい」と。
冨宅:心に残る教えはありますか?
小川:先生の教えはすべて私の土台になっています。なかでも繰り返し言われたのは、基本に忠実であれと言うこと。基本がなければ、作りたい物を形にできないからです。また作品には人となりが出るから人間性をちゃんとしろとも。「お前さんはいつもちょろちょろしている」とよく怒られました(笑)。もうひとつは人と違うことをやれ、新しいものを作り出せということです。
冨宅:多くの深い教えに、小川先生のお色が加わって、美しい作品が育まれるのですね。先生の作品はポップなものや、大胆ながら繊細な柄が施されたものなど彩り豊かで素晴らしいです。制作のインスピレーションはどのように得られるのですか。
小川:私はテーマを決めずに作り始め、手を動かしていると、「こんな感じ!」というイメージが湧いてきます。そのひらめきは、旅先で見た景色や自然、日常で見ているものの重なりなど、あらゆるものが引き出しから出てくる感じです。
わき上がるイメージを一心に削る
冨宅:制作工程を教えていただけますか。
小川:まずはグラスやお皿など、素材の形や厚さ、色を決めて型紙を作り、熟練の吹きガラス職人でもある作家の方にお願いします。実物が届いたらデザインを考え、粗摺りの工程に入ります。ダイヤモンドホイール(ダイヤモンドの粉が貼り付けてある円盤)を機械に取り付け、高速で回し、円盤の刃にガラスを当てて削っていきます。刃を何度か替えて切り口を整え、さらに細かい紋様を入れていきます。最後はコルク板のような板や、たわしが円盤状になったような毛車に水で溶いた磨き粉をつけて、磨いて輝きを引き出して仕上げます。
冨宅:制作のお時間はどのくらいですか。
小川:大きなものは1~2か月かかります。5~6㎏ある素材の場合、抱えて削るので肩や腕に筋肉がついてきます(笑)。
冨宅:それは大変ですね!
小川:今日は着物ですが、普段は髪を振り乱して粉だらけで制作をしています。
冨宅:素敵なお召し物からは想像できません!帯留もキラキラと光って素敵です。
小川:ありがとうございます。帯留は知人から依頼されたのを機に、試行錯誤で作り始めました。帯留は小さなものですが、体の真ん中に着けるので、皆さん自然と目を留められますので、細心の注意を払って作っています。
冨宅:かわいいので、着けたいと思う方が多くいらっしゃるのもわかります。
ひとつで何度も楽しめる 作品を届けたい
冨宅:制作するときに心がけていることはどのようなことでしょうか。
小川:使う方や見る方に楽しんでいただくことが一番なので、反対側が透けて見えたり、映り込んだりするガラスの特質を生かし、ひとつの作品に3か所くらい見どころを作りたいと考えて取り組んでいます。
冨宅:気分によって向きを変えたり、ライティングで演出したりいろいろな楽しみ方ができるわけですね。日々「美」と向き合う先生にとって、「美しさ」と言うのはどのようなものでしょうか。
小川:まず変わらない美には自然があります。どの時代でも自然を見て美しいと思う心は変わりません。一方、女性のお化粧、眉毛の形などはその時代に寄った美もありますね。その両方とも美しいと思います。それから先日なるほどと思ったお話をうかがいました。私たちは清らかな水を見て美しいと感じますね。それは「生きていくために必要なものを、人は美しいと思うようにできている」からなのだそうです。
冨宅:素晴らしいお話、ありがとうございます。では最後になりますが、今後の抱負を教えていただけますか。
小川:ずっと切子を作っていきたいというのが希望です。切子は生きるのに必ずしも必要なものではなく、暮らしや心に少し彩りを添えるようなもの。素材も必要ですし、それこそ平和でなければできません。ですから、なんとか制作できる日々が続くように願っています。
冨宅:私も、先生のご活躍を心から願っています。日本橋三越さんでの先生の個展を楽しみにしています。